emobile D02NE をsnow loepard で使う

移動中もネットしたいと言ったら
今使ってないEmobile があるとD02NE を支給された。

こいつはPC カードタイプ。

僕の使っているノートは Mac BookでこれにはPCカードがついていない。

USBタイプにして欲しかったけど
追加でかってSIM乗せ変えをするにも
別のemobileを購入するにも契約しなくちゃいけない。
それがめんどいからこいつを使えと。

しかたなくPCカードーUSB変換機 IoデータのUSB2-PCADPNを用意。

USB2-PCADPN

さーこれでインターネットできるぞと
Mac にセット。

あまかった。

繋がらない。

ネットで情報をさがしても見つからない。


あきらめつつ
あれこれ設定。

できないかと思ってたけど
下記の設定で繋がった。

電話番号 *99***1#
アカウント名 em
パスワード em

詳細設定
 → 製造元 I-O DATA
機種 PCSDAH-ADP(AHS101S)
   モデム内蔵のエラー訂正と圧縮を使用 チェック
   ダイヤルモード 電話をかける前に発信音を確認
   ダイヤル トーン
   スピーカー 入

にっき

最近彦坂尚嘉の〈第41次元〉アートブログを読んでいる。

このブログを読むようになって
今までわからなかったこと言葉にできなかったことが
だんだん分かるようになってきた。


最近では
嫁の趣味と僕の趣味。

嫁の趣味は1流で1次元の物なのだ。
一方、僕の方は41次元、1次元、6次元までと3次元を認めている。

僕の方が幅が広いだけ
どの次元を選ぶか、精神状態できまるのでばらつきが大きい。

嫁の方は1流だけなのでむしろばらつかない。
逆に言えばいいものしかだめなのだ。

良いものを見る目としては嫁の方があるのかもしれない。

しかし、こと、日本においては大体が6次元のものが多いというか
ほぼほぼ6次元のものしかない。
(僕はこれは日本語に起因しているんじゃないかと思っている)

故に嫁が
あれ駄目、これ駄目
というのも聞いてて
第6次元がだめなんだなと意識できる。

昔は僕も6次元は駄目だったから分かるんだけど。

http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090219-01.html
身勝手な働く母親として、身にしみる新たな罪の意識について

母親が働くのが身勝手なんて
そんなんあたりまえじゃん。

僕は父親だけど、できたら働きたくない。
働きたくないのをなんとかするために
たのしく働いているけど
基本、働くのは自分の為にじゃない。

それが家庭内での自分の役割だと思っている。

子供にはいつも一緒にいてくれる母親が必要だ。
そう思っている。なんでかわからないけど。

母親がその役割をいやだとか大変だから逃げたいとか
もっと贅沢な生活がしたいから働くとか言ったら
それは自分の為でじゃん。

それで幸せになるのが自分で
不幸になるのが子供なら身勝手でしょう。

そもそも自分でなければ果たせない役割を
放棄しているんだから。

そうだと分からない、気づけないからショックを受けるんだろうな。





東京の道路が芝生だったら
http://www.ideaxidea.com/archives/2009/02/green_island.html

東京の道路が芝生だったらの写真だけど妄想だな。。。
芝生は生き物なんだから
数千だか数万だかしらないけど
人に踏みつけられたら
1日ではげ上がっちゃうよ。

それでもいいなぁ、、っていうんだったら
本当のところ
必要だと思っているのは
芝生という生き物じゃなくて
芝生の緑という「色」なんだろうな。

だとしたら、「芝生」を
というより「緑色」を
といっている方がよっぽど真実だ。

無生物の人口芝だったら可能性ありだな、、
と思った。

私は私のことがわからない

「わからないこと」っていうのはなんだろうか?
ぼくが思うわからないことっていうのは
「私以外」である。

ちなみ、ここでいう私っていうのは
自分の身体も知識も経験、他人から得たこと
も含んだ、私のすべて。

「私」に時間をかけて考えさせれば
私のリソースをつかって
新たに私を拡大させることはできる。

が、私に時間をいくらかけても
私の持っているものだけでは
どうやっても創造しえないもの。
それが「わかれないもの」である。


そういうものがあるっていうのがわかった事が
僕にとっては発見だった。


言い換えれば「他」の発見である。



なんでこの「他」の発見に時間がかかったのか?

それは私自身が何かを考える時
そのものすべてを受け取るのではなく
私というフィルタで制限して物事を受け取っていたからである。


こうすると「私」と「他」が同じになってしまう。
「私」は「他」を「私」と同じとみてしまっていたのだ。



「私」をどういう規模にするか?で
「他」が何になるか?も変わるけど
分かれないことがあると分かった事で
自分の形がわかり、さらには無形ということが分かるようになった。

形がわかれば特性はおのずと決まるのだ。

宇宙の形

宇宙というのは完全である。

未来が不完全であると同時に過去も不完全である。

未来が多岐に分岐しているという説明はよく見かけるが
実は過去も多岐に分岐している。

通常空間は重畳しているのにもかかわらず
現在という一点に於いては
重畳がなくなるという特殊状況になる。

http://d.hatena.ne.jp/ttakasuka/20080927
これ、関連検索も同じようなことだよね。
「検索キーワード」での検索は旧ロジスティック型。
「関連キーワード」は、ハブ&スポークス型。


線が重要と言えば
家系図を作ってた時に気づいたんだけど
私をどこにするか?で座標軸の意味が90度変わるんだ。

最近バスの路線をどんな経路で
結ぶのがいいか考えていただけど
わざと寄り道した方が
選択肢も増えるし
より豊かで面白そうだと気づいた。


http://d.hatena.ne.jp/ttakasuka/20080925/p2
「人は存在するだけで価値を消費する。
消費する価値以上の、何らかのアウトプットで社会に還元する必要がある」

もし価値の還元が責任であると位置づけるのであれば
価値が価値だと分かれる必要がある。
分かれないことを責任だからやれといっても
明後日の方向に進んじゃうに決まってる。

じゃあ「これが価値です。」というのをclearに定義できるのだろうか?
そもそも日本でそれがclearになっていない事が
素晴らしいことで大変な根本なのだに。と、一般論的には思う。

ここでおっしゃっている価値とはいったいなんなんだろ?
会社のルール的にお金稼ぐことだろうか?
高須賀さん的な既存のルールを壊す事だろうか?
人にやさしくだろうか?

難しい行間ですな。

これはやるせない

http://d.hatena.ne.jp/shogizuki/20080701/1214917410
これはやるせない。

希望の光が絶望に自分を落とされ
確かな悪人がいれば恨みもできるだろうけど
相手も仕事の上の決断で仕方がないというのもわかる。
気持ちの持っていきようがない。
黒でも白でもない
こういう灰色な状況になっちゃうのはツライよなぁ。

多分彼はいい人で頭も普通に冴えるんだろうな。


ただ、これは言える。
悪いことをしたわけじゃない。
だから下を向く必要はないし
理不尽に負けてやる必要もない。