知識というのは、
良識を持って使えば良薬
悪識を持って使えば悪薬
になる。

知識というのは常に危険性を伴うものである。

故に知るということは危険なのである。
有能な人はそれを知恵として知っている。
信用が唯一その危険に対応できる方法だろう。


例えば、その情報を知る事で生命の危険があるとしたら
取り扱いに慎重になるのは当然の帰結かと思う。
パブリックにすることだけが正しい事ではない。
情報の透明性を上げる事に反対はないが

その情報を流す事の意義がわからない人が
流す情報は危険性を伴っている。
流し手がその配慮をなくすなら

受け手がそういう毒の存在を
きちんと知った上で情報は受けなければならない。

毒を飲むのも個人の「自由と責任」だろう?というのは
確かにそうだが価値観的に自分的には同意しかねる。