当たり前の大事さ

自分は言葉が下手なので人に説明すると皆当然でしょう?あたり前でしょう?何をいまさらと人には言われる。説明のうまい人が説明すると「なるほど」「それは大切だ」とそういう人でも納得する。知識と知恵は違うのである。大切な事は何事も当たり前で、当たり前を当たり前だと言って無視している人は本当にその大事さを分かっていないのである。
先にも書いたが、あまり言葉がうまくないし、社交的でもないので、本当に大切な人へ以外、伝えようという気持ちは実はあまりない。

自分が関われない事はやらない

が自分の主義。やるなら関わる。やらないなら任す。
国は任せた。僕は知らん。僕の決定権は君にやる。君に従う代わり、僕は関わらない。が今の僕。
この人なら自分の一票を投じれるかなと思った人がいた。その人の事務所に話を聞きに言った。政治屋だなぁと思った。結局選挙には行かなかった。その人の重きを置くところが分からず話に共感はしなかったけど優秀だとは思った。優秀でだけど主張がないならば悪魔にも天使にもなるという事だ。そういう人に自分は一票を投じるのは無責任に思ったのだ。
その人は言った「こっちの方がマシと思うほうに一票を入れてください」
そんな無責任さは僕にはありません。ギャンブラーでもない。
だから責任は放棄して他の大事な事に時間を使わせてもらおう。
代わりに文句を言うつもりはマッタクない。